昭和五十四年五月二十七日 朝の御理解


御理解第三十四節 「ここへ参っても、神の言うとおりにする者は 少ない。みな、帰ってから自分のよいようにするので、おかげはなし。神の言うことは満ちに落としてしまい、わが勝手にして、神を恨むような者がある。神の一言は千両の金にもかえられぬ。有り難く受けて帰れば、みやげは舟にも車にも積めぬ程の神徳がある。心の内を改めることが第一なり。神に一心とは迷いのないことぞ。」


 信心させて頂いて本当のおかげを頂くと言うことは、御神徳を頂くと言う事である。
 『有り難く頂いて帰れば、舟にも、車にも積めぬ程の神徳がある。』有り難く頂いて、その事を生活の上に現わしていく。いくら参っても、いくらお話を頂いてもそれを道に落としてしまうような事では、本当のおかげにはならないと言う事ですね。本当のおかげと言うのは、信心しての一番の眼目は御神徳を頂くと言う事である。
 昨日、久留米の知初代の親先生の帰幽祭でしたから、お参りさせて頂きました。本当に御神徳と言うものは、あの世にも持っていけ、この世にも残る。と仰せられるがしみじみそれを、思わせて頂いた。お教会の建物、それから、お庭のたたずまい、そして墓前祭の時に改めて思わせて頂いたんですけれども、ま、りっぱな奥城がございますよね。橘会館のまえに、それで拝ませて頂いて、ふっと気がついた事でしたけれども、後隣は、市長官舎ですか石橋さんの何か、隣に大きなお屋敷がありますね。そこに奥城のすぐ後ろが隣のお庭の、に、なっておって、後ろに杉木立ちがいっぱい、ばあーっと、あってね、も、まるきり奥城のバックにわざわざ、そういう山か、庭かがあるように見えるんです。そしてその後ろに、大きな松の木が一本出来ておって、その後ろに会館が建っております。もう、ああいう、久留米の町中の事ですから、どこにどういう建物が建っても、どういうものがあっても、仕方がないのですけども、その奥城の後ろあたりに妙な建物があったりなんかしたら、もう折角の有り難い気持ちも、なくなってしまうだろう、と思う。ところが後ろの方へ杉木立ちがこう、あってそしてお庭が奇麗に造ってあって、後ろが橘会館とこうなっておりなすから、もう本当に拝ませて頂くのに、有り難い気分で拝ませて頂ける。もう、これもよにかく、やはり初代の御神徳の現れだな。とこう見上げさせて頂くと、所謂、昔風に造った建物ですから、もうそれこそ、八ッ波の御紋章が一番屋根の上に大きく、それこそ金色に輝いております。お庭も奇麗に手入れが出来ておる。本当に御神徳と言うものは、このようにして残るものだな。そしてこのような働きがあるものだな。と言う事を昨日、改めて感じさせてもらいました。とにかく御神特、ね。久留米の初代の石橋松次郎と言う先生が、ね。どういう信心をなさったか、と言う事は教祖のみ教えのすべてがと、言う事ではないだろうけれども、いつも、その芯になっておったものは信心辛抱であったと言う事です。御本部で御修業中に、金光様がこうして御結界にお座りになっておられるのを、そちらの方で神勤をなさっておられる御様子を見ておられたところが、丁度お参りが途絶えた時に、久留米の、その石橋先生に対して、二代金光様、四神様が手招きをなさった。何だろうと思うてお出になると『なあ、石橋さん、信心辛抱さえしておけば、物事整わぬ事はないぞ』と仰った。
 も、それがね、それこそ心の中にしみ込んで、どういう場合であっても、辛抱し抜かれてそして御晩年の頃には、もう、その辛抱すらも感じられない程しの、言うならば大空のような、豊かな大きな心の先生であったんですけれども、そう言う一つの人格が出来てゆかれた。その元と言うのは、四神様の一言の言うなら、信心辛抱さえしとれば物事整わぬ事はない。勿論、ただ、辛抱じゃない。信心辛抱である。神様に縋っての辛抱である。その辛抱しとられる内に、今、合楽で言われておるところの言うならば、土の信心と言うようなものがお出来になったのじゃないだろうか、とおもいます。
 昨日、御本部の学院の中に古屋圭奈子と言う人が行ってます。初めてあちらに行ってから手紙が詳しく、いろいろ書いてまいりました。
 百名近い修業生の中に女の方が三十六名とか書いてございました。で、女の修業生ばかりで教祖様の奥様のお祭りに参加させて頂いたとかいてあります、ね。所謂、教会婦人としての、ま、鏡のように言われております。その事にお祭りがすんでから学監のお話があった。そのお話を聞いて、もうビッックリした事は、と書いて有ります事は、教祖様の奥様は土の信心をなさったお方だ、と書いてございます。
 もう初めて聞いた、合楽で言われる、土の信心、土の信心とこう言われるが、ね。ハッキリ土の信心と言う言葉で聞いたのは初めて、ね、。教祖の神様の奥様はもう、只々、土の信心を身につけておいでられたお方だ、と言う話があって、ひとしを感激したと言う事が書いてございました。ね。
 だから、信心辛抱と言う事は、ね。何を身につけておいでられたか、と言うと久留米の初代はやはり、その中にいろいろな教えられる事が、沢山あったでしょうけれども、結局、土の信心を敢行された。土の信心を実行されたお方であった。それが信心辛抱の徳ともなって、今日の久留米教会の元を造っておられた。そして今日の合楽教会もまた、石橋先生のそう言うお徳の、言うなら、流れを頂いて今日の合楽があるのだ。
 なるほど、土の信心をいよいよ、丁重しなければいけないな、と言う事を思わせてもらいます。
 もう一つ、大変うれしい事が書いてあった。それには桜井武志君が最年少者だそうです。一番年が若い。それでもう学院生全部が、その感心しておることは、とにかく陰日向なしに一生懸命に働くと言うことで、ま、評判する位に今、評判がよいと言うことが書いてある、ね。
 武志君が学院に参ります時に、色紙を持って来て、親先生、今度学院に参ります時の心に掛けさせて頂く、何か一筆書いてくれ、と言うてここへ持ってきました。それで私は『咲くまでは 草と呼ばれる野菊かな』と言う句を一つ書いてやりました。
 咲くまでは 草と呼ばれる野菊かな
 そこで私は思うんです、ね。折角こうやって御信心させて頂くのですから、しかも合楽で今、言え有れておる教えと言うのは、も、前代未聞のものだ。それこそ、開闢以来、こう言う金光様のご信心を、このように表現してもう、言うならば無類のもの、言うならば和道十全の道、和の道を十全する。所謂、完璧なものに、和の道と言うのは、平和の和の道。和である。和と言うことを説かない宗教はないけれども、そのうちの一部しか説かない。
 金光教の教祖は、その全てを説かれてある。と言ったように合楽理念で言われておる。
 そう言う合楽理念を、どんなにマスターする。覚えたと言うても、ね。それを身につけていかなければ値打ちはない。その第一のものが土の信心であり、つちの信心だ信心辛抱だと言う事だある。ね。
 お互い信心させて頂くのですから、やはりおかげを頂きたい。いよいよの眼目は、本当に御神徳の受けられるような信心を頂きたい。と言うところに眼目がおかれなきゃならない。有り難く頂いて帰って実行すれば、舟にも車にも積めぬ神徳がある、と仰る。その神徳を受けると言う事である。
 本当に神徳を受けて、ああ、あれが金光教によって受けた、神徳の現れだな。と言うようなおかげを頂いた説きに、初めて言うならば、ああ、あれは菊であったんだな。と草かと、思いよったら、あれは菊の花だったな。と皆にも分かってもらえる、時である。
 折角、信心を頂くのですから、どういうような所も、通らせて頂くのでしょうけれども、ね。私は武志君がそうして一生懸命に皆が気のつく程に、一生懸命に頑張っておると言う事は、ね。どうでも御神徳を受けたい。本当におかげが受けたい、ね。今はどこの誰やらすらわからないのだけれども、ね。言うならば草と呼ばれておる。雑草と同じように、呼ばれておったけれども、ね、そこにはっきり咲いた時に、ああ、成程あれが合楽の信心であったな、あれがやっぱり本当の生き方だったな、と言われ、思われるようなおかげを頂きたい。と言う一念発起がです。今、武志君が一生懸命、それこそ一日、人の中で皆から注目される程しに一生懸命、頑張っておる。と言うのはそう言う事ではなかろうか。咲くまでは、と言う信心辛抱に取り組んでおるのであろう、と思うて大変有り難いと思った。その反面に、また悲しい事が書いてあった。それは三山洋一君が、もういってから、ずーっと腹が痛い。どこが痛いと言うて休み続けておると言う事である。どうした事であろうか。これは改めてもう一段おかげを頂かなければいけないな。合楽で成程、一年半と言う間、一生懸命修業をしたけれども、ね。合楽教会から修業にでたのではなくて、自分の教会から修業に出る事になった。この辺の所にも何かそう言うようなものがあるのじゃなかろうか。と言うふうに、ふっと感じたのですけれども、とにかく皆やはり、ここから出ておるのですから、お祈りぞえをしていただかねばならん、とまあ、思わせて頂いた。
 二人の若い修業生が、一人は病気ばかりして、休んでばかりおる。一番年少者であるところの武志君の場合は、それこそ皆から注目をされるくらいに、ま、言うならば、ハハア、合楽の修業生は頑張るなと言うふうに、見られておるかも知れん。
 それが言うならば咲くまで、信心辛抱しぬいたら、成程、合楽の信心は素晴らしいと言う事になるだろう、とこう思います。他の教えがどれ程、身についておったか、と言う事はわからんにしてもです。言うならば、咲くまでは、ね、草と呼ばれる。だからどんなに草とよばれても、雑草と、呼ばれても、ね。咲くまでは頑張るぞと言う、その頑張りが言うならば、神の教えを道に落とさずに、確かに頂いてまもっておる姿ではなかろうかと、私は思いますね、ね。
 まだ、海のものとも、山のものとも分かりません。けれどもやはり、頂いたものを、そのくらいな一生懸命な気持ちで、頂き続けると言う所に信心辛抱がいるね。只の辛抱じゃない。神様におすがりをしての信心辛抱である。あれも、これもとはいかなくてもです、ね。言うならば本気で土の信心に徹底すると言うような生き方、そして成程、お徳を頂いてそれが、あの世にも持っていかれ、この世二も残しておけれる。と言われた、そのお徳のあらわれをです、昨日私は久留米の教会に見た。そしてそれこそ雑草やら、何やら分からない。合楽から修業した武志君が十八才でしょうかね。洋一君が一つ上ですから、十九才でしょうか、ね。
 その二人の修業生の修業ぶりと言うものを昨日聞かせてもろうてです、ね。今日の御理解にあてはめて聞いてもらいました。
 ここへ参っても神の言う事は、途中で落としてしまい、そして神を恨むような者がある。ね、それこそ『神の一言は千両の金にも代えられぬ』じゃなくて、千両の金にも代えられぬ御神徳があると言う事。御神徳が内容であると言う事。だから有り難く頂いて それを一言でも行ずる事になればですね、それが御神徳を頂く元になり、その御神徳がです、ね、いよいよ和道十全と言われる信心を、体得していく、とにかく第一歩である、と言う事でございます。ね。
 『神に一心とは迷いのない事ぞ』と最後にある。ね。それこそ神に一心とは迷いのない事。親先生のその一言。言うならば、『咲くまでは 草と呼ばれる野菊かな』咲くまでは、ね、人に認められるまでは、もう、その頃には神様も認められる。神様に認められると言う事が御神徳を受けると言う事です。
 御神徳とは神様の御信用と言われるね。神様に認められれる信心をさせて頂く。それを貫かせて頂くところに『神に一心とは迷いのない事ぞ』とね。どんな事があっても動かない。迷わない。その一心を貫く、と言う事が信心には大事ですよね。 「どうぞ。」